えどきの感想置き場

感想置き場です。

ドラクエを「台無し」にした映画ドラクエへの賛辞

※ネタバレ注意

 

こんにちは、初めまして、えどきです。
映画、ドラゴンクエスト・ユアストーリーの感想をネタバレ込みで書きたいがためにブログを開設してしまいました。
今後も気が向いたら使っていこうと思います。

 

さて何につけてもまずは映画ドラクエの話。

先に言っておきましょう。
僕はこの映画、大好きです。
本当に好きです。最高。
だから僕はユアストーリーのクソさを語ってほしい皆さんの希望には添えません。
ただ、あの映画を初日に観に行って、素直に感動して帰ってきたのに、感想を見てみれば罵詈雑言ばかり。
そんな人たちが少しでも心を和らげてくれたらなと思ってます。

怨嗟のような批判を書いている人たちは、きっといずれもドラクエの大ファンなんでしょう。
それは、よく分かります。(見もせずに「実写デビルマンと同列らしいw」とか言ってる人は僕が毎日30分寝過ごす呪いをかけてやるから覚悟しとけよ)
だから、映画を面白かったと感じた人たちでさえ、
「正常なドラクエファンの反応はこれなのか…?」
と、自分の感性を疑ってしまったかもしれません。

ですから僕も、ドラクエの大ファンとして、これから魂を込めてこの映画を肯定します。(全肯定というわけではないですが)
大丈夫です。ドラクエファンでも、この映画を好きになっていいんです。
(こういう動機があるので、主な批判への自分なりの言い返しが結構多いです)

感想にはこんな文言が結構ありますよね。
ドラクエが好きであればあるほどこの映画を嫌いになる」

んなわけあるかい。
少なくともここに一人います。ドラゴンクエストというコンテンツが大好きすぎて人生にも自創作にも多大な影響を受けている僕が、この映画を大好きだと言っています。
自分の物差しで相手の愛を測ろうとする人間にだけはなりたくないものですね。
え? まだなんかあるの? 「ドラクエ好きにはこの映画おすすめできない」?

それはそう(深い肯定)

まあ、イントロはこの辺にしときまして。
僕はこういうスタンスです、というのをご理解の上、これからの感想を聞いてください。

 

1.音楽

いやぁぁ~~~やっぱり良いですね。
今まで見た感想でも音楽に文句を言う人はあまりいませんでしたね。当たり前だわみんなドラクエファンだもんな。
一部、「ドラクエ5のBGMだけを使ってほしかった」とか「この曲はここで使われるべき曲じゃない」という声もありましたけどね。
でも、端から「原作に忠実な映画化ではない」こと自体は明らかだったはずです。
原作に忠実だったら、そもそもサブタイ「天空の花嫁」にしてるでしょうし。
なので、そういう点に関しては単に「今回はそういう方向ではなかった」ということで、僕は納得しています。
ま、「次回」があんのか分かんないけどね~!(血の笑顔)

僕としてはむしろ、分かってる選曲だと感じましたけどね。
元々いろんなドラクエシリーズから曲を引っ張ってくるんだろうな、とは思ってました。
ただ、全体通してみると天空シリーズを中心に持ってきてくれてるのは分かりましたし、要所要所結構うまいこと演出してたと思います。
特に馬車のマーチDQ4フィールド)のシーンはよかったですね。
あと、7の曲もいくつか使われてたのが個人的に嬉しかったです。
オルゴ・デミーラ」が流れてきたときは「え? なんで?」と思ったんですがまあ、終わってみれば納得。
それに、あの局面で「大魔王」(ミルドラース戦)はちょっと合わないですよね確かに。
総括して、音楽に関してはかなり良かったと感じました。


ただオメ~~~「敢然と立ち向かう」(ムドー戦)!!
11で懲りてなかったのか!? 使いすぎじゃい!! たったの2時間で2回も流したな!
「敢然と立ち向かう」が文句なしの名曲なのは認めるけどほんと頼りすぎだよドラクエ……。

あ、序曲は何度流してもヨシ。
だって序曲はゲームの時からして起動するたびに聴くわけだし、基本的に食傷起こすような曲じゃないからね。
いうなれば白飯よ白飯。美味しいおかずと一緒に食べる白飯はいつだって最高なわけ。

 

2.キャラクター

僕は3DCGって正直デザイン的に受け付けないことの方が多いんですけど、あれ系のCGは結構好きですね。
ディズニー系と表現すべきでしょうか? アニメチックですけど実写にも映えるやつ。
二次元的な3Dよりも、僕はそっちの方が好きです。
声に関しても、演技に対する違和感はほとんどなかったですね。
特に僕、ビアンカの演技が好きでしたね。
あと波瑠さん(フローラ役)の二役の演技分けは言わずもがな、お見事でした!
あと、幼少ヘンリーめっちゃかわいくなかったですか??
しかも一人称「余」て! この大胆なキャラ改変には僕もニッコリ。ショタ王子かわいいね。生意気な表情もよく作りこんでます。
ただ青年ヘンリーも一人称「余」なので、「あ、そこはこの10年貫き通したんだ……」と意外に思いました。
10年間ずっと「王子様と呼べ!」と言ってたと思うとなんかヘンリー、原作よりだいぶ鋼メンタルになってるなと思いました。凡人だったらそんなん奴隷になった時点でどうでもよくなりますよフツー。

しかも、「何が何でもここを出る」という意思はヘンリーの方が強くなってましたね。原作だとむしろⅤ主人公が逃げ出そうとしてるのをなだめてたくらいだったのに。映画ヘンリーは結構王族としての誇りとか意識が強いですね。
ああでもそうか、原作だとヘンリーが原因でパパスが死んじゃうわけで(映画ではそこの因果が結構薄めな印象)、それで心をぽっきり折られたところもあるんでしょう。
あと、原作ヘンリーは「どうせ王位継ぐのは弟だからな~」とか思ってたわけですしね。そりゃあ王族としての意識も薄くなる。

いや待てよ、そう考えると……? 
ヘンリーがいたずらっ子だったのは、「今の王妃が実の息子であるデールを溺愛して王位を継がせたがっていた」というところからくる王位への劣等感が大きな原因だったと考えられます。
そこを踏まえると、弟のいないヘンリーが変わらずいたずらっ子だったのはちょーっと違和感ありますかね確かに……。

でもカワイイからオッケー!

 

さて、花嫁なんですけど……

分かってたんですけどビアンカなんすね。
ええ、分かってますよ?
むしろフローラ選んでたら怒ってましたよ僕は。
ゲームだから、何度も選べる人生だから、初めてフローラという選択肢が生まれるんです。
PS2でちょっとフローラサイドにテコ入れ(幼少期に船で出会っていた)あったからって、フローラの圧倒的劣勢が変わるわけもなし。(そういえば映画ではSFC仕様で強引に幼少期のフローラとの出会いが追加されてましたね。僕的にはあの演出も良)
映画全体通してみても、やっぱりビアンカのかわいさ前面に押し出してますよね。実際かわいい。ドラクエ5が2019年に作られてたらあんな感じのキャラクターになったんだろうなあという印象を受けました。
あとフローラなんですけど、結婚申し込んだとき彼女が、
ビアンカさんは祝福してくれますよね……?」
とか言うもんだから「え!? まさか君ビアンカがリュカのこと好きなのを知って!? そんな嫌な女だったかフローラ!!?」
ってビビり散らかしてしまったもんですが、後の彼女の工作活動からアレは嫌味な勝者宣言というわけではなく裏表のない本心からの質問だったと発覚。ごめんなさい僕の心が汚れていました。
終わってみればフローラは解釈一致のいい女でした。さすが僕の花嫁です。

っせえ!! 
知ってる知ってる分かってるよフローラ派が異端扱いされるのは!
だけどな、いかに負けると知れてる闘いでも同調圧力が激しいとしても、男は黙って惚れた女を選ばなければよぉ!!
いい女でしょフローラ! 健気で、可愛くて、美しくて!
いかにビアンカと結婚する方がドラマチックと言ったって、愛には逆らえねえ!!

あ、解釈一致と言えばビアンカも変わってませんでしたよね。
わざとらしく結婚が決まってからリュカの泊ってる宿屋で酔い潰れちゃったりしちゃってよー!! 結婚前夜に「眠れなくって……」とか言ってた頃と何も変わらんじゃんか!
ズルい女だよビアンカは! でもそんなとこも僕は好きだよ!
フローラ派だけどな!

 

3.モンスター

CGはキャラクターと同じく全体的にすーごい良かったと思います。
ゴーレムやキラーマシンなんかは大きくて質感も良く、大迫力でした。戦闘シーンが見ごたえありましたね。
特に、ブオーンが仲間になる展開は夢があって良かったですね。
ただな~~~~仲間になるとき「ここで死ぬか下僕になるか選べ」みたいなこと言ってたじゃないですか。
仲間モンスターってⅤ主人公にとって下僕だったんかな……っていうのはちょっと解釈違い、というより単に少し悲しかったです。
あと、ゲレゲレが仲間になるシーンに関しては、どうせ出すならもうちょっと尺あってもよかったんじゃないかなと思いましたね。
何もカボチ村の一連のイベント入れてってわけじゃなく、せめてもう一言二言セリフと間がほしかっただけです。
だって幼少期の大切な大切な相棒ですよゲレゲレは。
「えっ、もしかしてゲレゲレ!?」
とかそんなあっさりと流せる再会じゃなくないですか?
「えぇぇ!!? ゲレゲレ!? ゲレゲレなのかい!? え、本当にゲレゲレ!? いやこの仕草は間違いなくゲレゲレだ! ゲレゲレ~~~~~~~!!!!!!!!」
くらいの感情必要じゃないですか?
まあ……「尺が足らない」はほとんど全シーンに言えるので、これはもうどうしようもないですね。

ドラクエⅤは、ドラクエⅣでのホイミンの人気を受けて初めて大々的に仲間モンスターを導入した作品ですからね。
そういった意味でも、もうちょっと仲間モンスターはボリューム欲しかったかな~~という印象。(まあドラクエⅤの映画ではないんだけどさ……)
せめてピエールとかブラウンとかその辺のみんな愛着もってそうな仲間モンスター枠もう一匹ほしかったかな……。

繰り返しますが、モンスターのCGデザインはすごくよかったです!

 

4.      

さて。
お待たせしました。

問題のシーンについて。

……どうだった? みなさん。
僕はもうね、天から不自然で角ばった何かが突き出してきて時が止まったとき心の中ではもう大爆笑でしたよ。

や~~~~~~ったぞこれドラクエ。やっちまったぞ、なあ。
なんかそれっぽい伏線張られてるけどまさかまさかねと思ってたら本当にやっちまいました。
元々、子供向けよりかはドラクエの古いファンを喜ばせるための映画やろなぁ……という雰囲気は感じてました。
ましたけど、そこまでやるかっ!? そこまで新規を置いてけぼりにする演出する普通!?
なあ、普通にやるんじゃダメだった? 本当にダメだった?

だってさあ、ドラクエくんいっつも言ってるじゃん、親子でドラクエやってほしいって、新しい世代に向けてドラクエ作ってますみたいな感じいっつも醸し出してたじゃん。
確かにナンバリングは8辺りから急に古参ファン向けの演出多くなって11なんかもはやドラクエの公式セルフパロみたいな様相を呈していたけどもさ!

というか! そもそもこんなことされたら往年のドラクエファンだって当然怒るわ!!
加えて新規置いてけぼりの高速展開!
ドラクエ知ってる人にも知らない人にもおすすめできんわ! 一体誰のためにこんな映画作ったんだ! 言え、言うんだ!
※僕はこの映画が好きです
※僕はドラクエが好きです

……と、まあ、いろいろ複雑な心境がありまして。
話を進めます。

僕の確信が事実になってから(すなわち「プログラム」という言葉が出てきた辺りから)、
僕の心は真っ二つに割れました。
それはちょうど、この映画の感想と同じ割れ方をしていました。

……ないわ。という心。
そして、よくやった!!! という心。

今もまだふたつのままです。
だから僕は映画の否定的な感想もよぉ~~~く分かります。
30代40代のドラクエファンよりファン歴は短いかもしれない、けど僕だって、SFCDQ5から始まり、ずっとずっとドラクエをやってきました。
誇りをもってドラクエを愛している人間です。だから分かる。
そしておそらく、この映画はそういった否定的な感情をおそらく意図して作ったんです。恐ろしいことに。

「プログラム」だとか「ドラゴンクエストⅤというゲーム」だとか、「処理を軽くする」だとか、
そんな言葉と共にあの世界が消失していったとき、皆さんは何を感じましたか。

僕は血の気がさっと引き、やめてくれやめてくれもうやめてくれと願いました。
その願いは具体的には2つあります。
ひとつは、まあ、これ以上あらぬ方向へ暴走して物議を醸す映画にしないでくれ、という思い。

そしてもうひとつは、僕の思い出を壊さないでくれ、という思い。

ドラクエⅤという思い出。
その思い出を背負って、今日、この映画を見に来た僕の想い。
それが一切合切台無しにされてしまった。
僕らの思い出は台無しにされたんです。意図的に台無しにされたんです。意地悪な大人によって。
(僕はあの消失のシーンを見て、ちょうど親にゲームの電源を消されたときのことを思い出しました)
それはまさしく、映画上でのリュカと同じ構造を取っています。

だからこそ、映画はその台無しを否定するのです。
僕たちはゲームの中に生きている。神道で言う分霊のように、僕たちはもうひとつの魂をゲームの中に宿す。
世界を超えて、プログラムを超えて、あのとき僕らはゲームの中で何かを掴んだような気がしていた。
そういった、他人に真面目な顔して話すなんてとてもできないような感覚を、僕たちは心の中に燻らせていたはずです。少なくとも僕はそうだったんです。
だから僕は泣きました。リュカが代弁してくれたから。
「ゲームにマジになっちゃって」なんて。そんな言葉が、僕らをどれだけ傷つけてきたことか。
僕はマジです。ずっとずっとゲームにマジです。一生懸命ゲームやってます。
きっと僕だって、リュカと同じように足掻いていたと思います、あの局面なら。

まあ……それだけに、あのシーンはすごく惜しかったなと思いますよ。
ひっくり返されたちゃぶ台をもう一度ひっくり返すには、相応の時間が必要だったはずです。
いやまた尺の話なんですけどね? 時間ないのは分かってますけどね?
でもこの映画の主軸をそこに置くなら、そこにもっともっと時間を割くべきだったと思うわけです。
なんかいきなりアンチウイルスとか言われても……という感はありました。(これの伏線どこかにありましたっけ??)
何にせよ、そういった形であっさり気味にアンサーしてしまったのはちょっと残念。
あ、ロトの剣取り出したこと自体はめちゃくちゃよかったです震えました

 

5.なんでこんなに批判ばっかりなんですか?

このシーンをいろいろ総括してみて、この映画を観終わった時の予想としては、「賛否3:7」くらいかな……と思ってました。
蓋を開けてみれば1:9です。いや、0.5:9.5です。
それは、まあオタクネットワークの性質としてデータがめちゃくちゃ偏ってる面もあるとは思いますが、まあ概ね批判批判の大嵐です。

どうしてここまで偏ってしまったのか?
というのを、僕なりに考えてみました。

たぶん、人は映画を観に行くとき「何か」を観に行くんですよね。
天気の子を観に行く人は恋愛映画、ボーイミーツガールを観に。
アルキメデスの大戦を観に行く人は戦争映画、歴史映画を観に。
要はジャンルの話、あるいは需要と供給の話。

ドラゴンクエスト・ユアストーリーを観に行った人は、おそらく大半が「ドラクエⅤ」そのものを観に行ったんですよね。
でもあれはドラクエⅤではなかった。もっと言えばドラクエですらなかった、ということがラストで判明する。
だから受け手は傷ついた。
それはもう、「百合だと思ったら男女の恋愛だった」「メガネキャラだと思ったら物語の途中で外した」レベルの危険手です。
男女の恋愛がダメなのではない、メガネキャラじゃないからダメなのではない、
需要・供給のパイプを突然切り替えるから事故が起きるのです。

それを、「肉まんだと思って食べたらあんまんだった」レベルのことと感じるか、
チョコボールだと思ったら泥団子だった」レベルの事故だと感じるか、というのは完全に受け手次第。

今回はみんながみんな後者レベルで感じてたんだと思います。
それがこの映画の大ブーイングの根本問題だと僕は考えました。
ちなみに僕は「ミルクチョコだと思って食べたらカカオ70%チョコだった」レベルでした。
チョコはチョコだし、苦いのも好き~と思いながら気にせずバクバク食べました。

いや、だってあれは「ドラクエ」ではなかったですけど「ドラクエのお話」でしたよね?
「一人のゲーム好きとしてドラクエを観に行ったのに、『ゲームなんかせず大人になれ』と説教された!」
という感想は割と多かったように感じますけど、
いや、まさにそういった「説教」を否定するための映画でしたよね?
大人だってゲームをやっていいんだ、俺たちはゲームと共に生きているんだ、ってそういうテーマでしたよね? 少なくとも。
僕はそのテーマに共感したからこの映画を大好きになったわけです。

でもたぶん、そういう感想を抱いた人はラストシーンがショックすぎて途中で気絶してしまってたんだと思います。いやほんと。
僕だって自分が二つに割れたとき片方が気絶しちゃったのでもう片方で観てましたよ。
まあ逆を言えば、そっちの気絶した側の感性だけ持ってってユアストーリーに臨んだ人は、
そりゃあまあ確かに怒り狂うだろうなというところはありました。
宣伝の仕方もあまりよかったとは言えないでしょう。せめてもう少しこの方向性を示唆することはできなかったんでしょうか。

ですから、「なんでこんなに批判ばっかりなんですか?」とは題しましたけど、
正直分かりますよ、分かります。
そりゃあ批判だらけになるってもんです。


でもクソ映画ではなかったです。
僕はドラクエ映画感想、初日からずっと追ってますよ。
最初は「賛否両論」というのが大きな流れでした。
そこに訴訟問題の流れが加わり、実写デビルマンと比べたツイートがバズり、
たった一日でドラクエ映画の呼び名は「クソ映画」に早変わりしました。
早い話、叩いていい空気だと分かってからは急にクソ映画呼ばわりが増えましたね。
あとはオタクのお約束、「どれだけ強い表現でこの映画を貶められるか」でツイッター大喜利大会。

人間は愚か。

いや、自分の感じたこと考えたことを自由に発信するのは、そりゃ当然許されるべきですよ。
ですから僕は、この映画で傷つき、その怒りを吐露しているだけの人たちのことを批判する気は全くありません。むしろ「だよね」と肩を叩きたい。
ですが、どれだけ傷つこうが怒ろうが、
この作品を変に邪推して個人を貶めるような発言までするのは傲慢です。
作品単体を見て、自分が感じたこと考えたこと、それだけが正当な批判ではないですか。
僕の怒りはそこにつきます。
嘘です。本当は
「『ドラクエ好きは絶対この映画嫌いになる』ぅ~~? 『この映画好きって言ってる人はたぶんあんまりドラクエやったことない人なんだろうな』ぁ~~~? っかましいわ!! 僕の方がお前らよりずっとドラクエ好きだわ!! 物心ついた頃から20年間弱ドラクエをプレイし続けてきてるんじゃこちとら!! そりゃファン歴はファミコン世代に負けるかもしれないけど人生におけるドラクエの密度はこっちの方が上じゃ!! だけどこの映画好きです!!! 僕は好きなんです!! そんなの単に感性の違いだろうが! 原作に忠実であることが映画化の価値かい!? 原作と違うところがあれば『ファンを軽視』かい!? んな極端な話があるか!!」

ってめちゃくちゃ怒ってますけど、
それは正当な意見ではないので心の内に留めておきます(留めてはいない)。

 

6.メタフィクションと虚構
僕はメタ表現というものが好きです。
近年、ゲームにおいてメタフィクションは大いに流行りましたね。
一番有名どころの某ゲームはswitch版まで出ましたし、
他にも無料でできるお得なギャルゲに、君が彼女で彼女が恋でみたいな名前のエロゲ(ネタバレ回避できてんのかそれ)に、あとあのアナウンスに従わないと怒られるゲームも話題になりましたね。

一方でRPG(特にドラクエ)は割と古くから「メタられる側」の最前線にありました。
古くは魔法陣グルグル。直近では「魔王城におやすみ」とかもそうですね。
他にも、RPGの「あるある」ネタを題材にした漫画小説は枚挙にいとまがありません。(こういうのはパロディと言うべきかもしれませんが、そもそもパロディというのはその世界に存在しないはずの物語を引き合いに出している点で、メタフィクションの一種だと言えます)
ちょっと前爆発的に流行った(と僕の中で思っているだけ)魔王勇者モノのSSなんかは存在自体がRPGのメタみたいなもんです。
ただ、メタフィクションの映画に関しては僕は造詣が深くないのであんまり詳しく言うことはできませんが……
「こんな展開は90年代の流行りだ」という批判が結構散見されたので、その辺りでやはり一度流行っていたのかもしれません。

まあ、これ以上メタフィクションの歴史なんかにわかが語ってもしょうがないのでここらへんにしておくとして。

今回の映画は少なからずそういった、史上何度目かのメタフィクションブームの流れを汲んでのものだと僕は認識しています。
(「流行りを取り入れてるからダメ」とか「使い古されてるからダメ」という意見にはそもそも僕は同意しかねます)
そして、古くからずっとメタられてきたドラゴンクエストというコンテンツが、
こうして堂々とメタフィクションを使ってきたことは、むしろとても嬉しかったですね。
そうそう、「これをドラクエでやる意味がない」という感想もありましたけど、
僕が感じた「ドラクエでやる意味」はこういう点にあったと思ってます。
ドラクエというより、日本を代表するRPGがこの映画になった意味、ですね。
意味というほど明確ではないかもしれませんけど。
「今までさんざんメタられてきたドラクエが、映画という大舞台でドラクエそのものをメタる」ということのブラックジョークめいた面白さ? と言うべきでしょうか。

ところで、僕がメタ好きなのは、僕が生粋のフィクション(虚構)好きだからです。
フィクションが好きだからこそ、フィクションとの距離感が近いメタフィクションが大好きなのです。
特に、深刻なメタ(ギャグじゃないメタ表現)というのは、私たちに虚構の命の価値を考えさせます。
虚構の命とは何でしょう?
それは厳密に言えば命ではありません。虚構は生きていないので。

でも、Gルートを選んだとき、一体どこで誰が悲しんだのでしょう。
.chrを消したとき、一体誰が何を失ったのでしょう。
Vtuberが引退したとき、一体どこまでが世界から消えたと言うべきでしょう。(これはちょっとズレた話ですが根幹は似てます)

虚構の命の価値、とはそういう不可解な領域に潜んでいると思っています。

僕はクリエイターの端くれの端くれとしてずっと現実と虚構の関係を考えてきました。

僕は現実が嫌いです。現実は僕を辛い目に遭わせるからです。
僕は風刺が大嫌いです。虚構のふりをする現実だからです。

僕は虚構が好きなんです。虚構だけが好きなんです。
二次元構造だけが、第四の壁のあちら側だけが、僕を本物の現実にしてくれる。
僕はいつもそう思ってなんとか嘘みたいな現実で生き残っています。
だからこそ僕はいつも虚構の命とは何なのか考えます。
考えに考えを重ねついに虚構の命をテーマに卒論を書いてしまったくらいには考えてきました。

皆さんは考えたことがありますか。物語の主人公の命の価値。物語の中で死ぬってことじゃありませんよ。

人はいつ死ぬと思う?

…人に
     忘れられたときさ…!!!

ドクターヒルルクもこう言ってます。
虚構の命だって同じです。むしろ、現実の命よりもこういった面が強い。
「忘れられてしまう」、すなわち「なかったことになる」のが虚構の死なのです。
だからリュカは抗ったんです。
もう一人の現実、もう一人の自分が消えてしまう、なかったことになる!
それがどれだけ深刻なことか、彼は知っていた。

もしも本当に全て壊されて、強制的に現実に戻ることになったら、きっと泣きも喚きもせずに「あーあ、災難だったなあ」なんてぼやくんでしょうね。それで返金してもらって、家に帰ってご飯食べながらツイッターを見て、例の騒ぎが話題になってて、くだらない大喜利でくすりと笑う。

そんなもんです。
そんなクソみたいな感情が僕たちの現実で、そんなものの積み重ねで、確かにあったはずの一人の人生を忘れていってしまう。それがどれだけ悲しいことか。

ウイルスの犯人は言ってましたね、「大人になれ」と。

「大人」という字はね、「一人の人になる」と書くんだ。

武田鉄矢もこう言ってます。嘘です。今思いつきました。
まあ、子どもというのはダブルスタンダードどころの話ではなく非常にたくさんの立場の自分がいるわけです。まだ自分の中で、自分が何者なのか定まっていないわけです。
それがやがて統合され、「一貫性」のある「論理的」な人間になる。
それが大人になるということだと僕は思っています。
現実の自分から逃れ、どこか他の世界の自分になりに行くのは、大人のすることではないのです。

みなさん、20代30代あるいは40代以上のゲームオタクのみなさん、言われた経験はありませんか。
「そろそろ卒業しろ」と。「もう子どもじゃないんだから」と。
あのシーンには、そんな「立派な大人たち」の呪いに対する明確な反逆が見えました。



僕は最近、社会人になりました。(いきなり自分語りをします)
ゲームをする時間が減りました。youtubeを見る時間だけは無駄に増えました。
小説も、絵も、頑張ってますけど、やっぱり最近モチベーションが上がりません。
ゲームを作る! なんて大学時代は言ってましたが、ゲーム作成のソフトウェアさえ入れていません。
迷走しています。
人生は短くて、全てをするには圧倒的に時間がなくて、何かを諦めなくてはならなくて。
漫画やゲームの中で子どもたちはいつも言っていました。「それが大人になるってことなら、俺/私、大人になんかならなくていい」
僕はその言葉を信じるまま、とうとう大人になり切れないまま、子どもにも混ざれない半端者として社会に放り出されました。
夢も諦めきれない。けれど夢を追って人生を賭ける胆力もない。
そろそろ大人にならなければならないのだろうか。
一丁前に恋愛をして、仕事をして、帰ったら食べて飲んで寝て、ランチは上司や同期と一緒に昨日見たテレビの話で盛り上がる。
そういう大人にならなければならないのだろうか。
って、最近ずっと悩んでました。

そんな僕には、彼の否定が結構、救いだったんです。


7.それでも僕があの映画に物申したいこと
再度確認しておきますが、僕は映画ドラゴンクエスト・ユアストーリーが大好きです。
それは間違いありません。
ただし!
僕の好きとは別に、あの映画がザックリ正しいか正しくないかで言えば、まあ、正しくはなかっただろうと思います
まず、誰を対象にした映画なのか見えてこない。
中途半端に子供向けで、中途半端に大人向けで、中途半端に独りよがり。
あんなにドラクエⅤ感を出しておいて、ラストのラストでちゃぶ台返し
そういう面もありました。
いっそ、ドラクエと題した完全オリジナルストーリーであったなら、
ここまでの批判はなかったでしょう。
リュカ事件もなかったでしょうしね。
そういう面もあったのは、確かに事実だと、僕は思ってます。

今回の感想にはこんなものもありました。
「監督に作品への愛/リスペクトが感じられない」
原作のアニメ化映画化ではお約束のセリフです。
僕個人の感情としては、こういうお手軽で卑怯な批判の仕方はめちゃくちゃ嫌いですけどね。
(繰り返しますが僕は「自分の物差しで相手の愛を測ろうとする人間にだけはなりたくない」と思っています)

でも、もう何度も言ってますけど、僕だって言いたいことは分かるんですよ。
実際、そういう感想をファンに抱かせてしまうというのはクリエイター側の深刻な問題でもあります。

コンテンツとは、作り手と受け手の信頼の積み重ねだと思ってます。
そういった中で、受け手を作品に対して疑心暗鬼にさせてしまうというのは、絶対避けなければならない。
今回この映画は、それをしてしまいました。
僕個人としては素晴らしい映画でも、他の多くのドラクエファンを傷つける映画を作ってしまった。
それが残念なことであるというのは、僕も肯定します。

僕もやはり、思わないわけでありません。
ひょっとするとこの映画は、ただ流行りのメタ表現に乗っかっただけなのではないか?
あるいは、なんか炎上商法で無理やり稼ごうとしているのではないか?(僕は炎上商法が死ぬほど嫌いですけど好きな人はまあまずいないですねそりゃ)
「リュカ」事件も鑑みるに、なんだかきな臭くなって参りましたよね。
ひょっとすると、このプロジェクトにはクリエイターとしての誠意が足らなかったのではないか?

疑り深い現実が押し寄せ、そこにある一個のフィクションが信じられなくなる。
これほど恐ろしいことはありません。
フィクションはただ一個の世界として存在しているのが素晴らしいのであって、
現実ではどうのこうのなどと言って後付けで評価するのは、僕のポリシーに反することです。

だから僕はあえてそういうことは含めて評価しません。
それに僕は主人が悪に染まれば自らも悪に染まる系の従者系の性格系です。


どんなになったって僕はドラクエを支え続けるだろうし、
この映画を見てその気持ちが強まったばかりです。

だから今はただ、この映画の呼んだ嵐がやがて過ぎることを祈っています。
そしてこの感想が、批判の嵐を見て落ち込んでいる映画肯定派に届きますように。